2012年5月7日月曜日

囲碁や将棋の普及という言葉の意味は、一般人向けの将棋ビジネスの婉曲表現だと思...

囲碁や将棋の普及という言葉の意味は、一般人向けの将棋ビジネスの婉曲表現だと思っていますが、なぜそのような表現をするのですか。

囲碁や将棋の道場、教室をやることですよね。普通、有料で。

やの付く商売でいえば「シノギ」に近い隠語表現に聞こえます。

道場、教室は別に格好の悪いことではないのですから、変な隠語を使わずに、普通に表現してもらいたいと思います。



新聞社に、文化の美名のもとに、はやってもいない囲碁将棋の棋戦に金を出させるのも、新聞社が囲碁将棋のことを宣伝してくれるという意味では、同レベル以上の普及ではないでしょうか。

また、普及という言葉には、人のためにやっている、囲碁界、将棋界のためにやっている、というニュアンスを感じられますが、普通の「普及」に、お金儲け以外のなにか自己犠牲的な部分があるのでしょうか。

普及とは、棋士なら、それ以外にできないのに、あえて自己犠牲的にそれにまい進しているかのように見せる、紛らわしい表現なのではないでしょうか。







〔やの付く商売〕を引き合いに出さなくても良いんじゃないの??? 〔シノギ〕という言葉があるのは知っているけれど意味がワカらないし そういう視点は考えたことないから よくワカらない・・・





たとえば、〔乗用車が一般家庭に普及した〕なんていう言葉が 昔には聞かれたはずですが、 これは 一般家庭に乗用車が一家一台ずつの割合に接近してきたことを指します。 つまり、普及という言葉は 世間一般に広く使われるようになったことを表現するので質問文にある指摘は当たらないでしょう。





新聞社にカネを出させることは昔からあることですが、 タイトル戦があることによって これも普及活動に一部ですし そのためにプロ棋士は研鑽を怠っていません。 これはタイトル料ということになるのかもしれませんが 棋戦に優勝することによって その貢献を賞金により評価することは当然のことと言えます。





〔質問補足後〕



〔プロ棋戦が必要な理由〕というのは プロ棋士が最高の囲碁や将棋を実現するためにあるものですね。 そのタイトルを獲得した棋士は最高の栄誉をもって関係者や愛好家に迎えられるのです。 そういった棋士を目標にして頑張っている子供たちがある。 その子供たちが また他の子供たちに囲碁を広める二次効果がある。 そういったことは 普及活動の一ではないでしょうか。



〔カネを取る〕という点ですが、私は入門者が一定のレベルになるまでは無料であるべきと考えています。 ヘタに有料にすると それで別の方向にいってしまう可能性があるからですね。 そして、初級レベル以上(あるいは中級レベル以上)に達して上達したいという愛好家については有料にしたら良いでしょう。



〔アマチュアがやるのが普及〕ということなのですが、プロの知識があるからアマチュアの棋力が向上するのであって 単にアマチュアだけの知識だったら普及に必要な知識は醸成が難しいのではないでしょうか。 プロが解説書を製作し、アマチュアが その解説書から学んで棋力の向上を目指す。 その努力から相当の成果を得たアマチュアが普及活動に参加している。 それはプロ棋士があってこそ可能なことではないのでしょうか。








活動の理念や目的を明確に表した文面を作る時必要になるからです。例を上げれば、自分の働く会社の理念のようなものです。何をするにしても、これがない所は弱いというのが現代社会の定石です。







質問者は、文化・伝統・芸術・スポーツは全て無用のものと考えているしか、受け取れません。

そのような人とは、考え方の次元が異なるので、議論は成立しません。

文化・伝統・芸術・スポーツを全て無料で広げようと主張する人に多いのが、競技や大会の結果にうるさい事です。

そのような矛盾がないことを祈ります。

私は逆に、文化・伝統・芸術・スポーツ等がないならば民族とか或いは極端には人間と他の生物との差は何かを考えてしまう方です。

これらの事に、費用を出す事が悪と考えているならば、それももう議論にはなりません。

文化・伝統・芸術・スポーツをお金の為に行う事に何も疑問は持っていません。ただ日本では一部を除いては、これらでお金を得る事が悪いようにいう人が多い様です。

まだ文化後進国かも知れませんし、バランスが取れているのかも知れません。

これらの分野を選択した人が、表面的な形は異なってもプロとなり活動する事が何故疑問があるのか、これも最初と同じ議論に戻るのでしょう。

根本的に、考え方が極端に偏っているように思います。







>やの付く商売でいえば「シノギ」に近い隠語表現に聞こえます。



ってか、シノギは基本新聞社なんかへの棋譜売りだからね。



>道場、教室は別に格好の悪いことではないのですから、変な隠語を使わずに、普通に表現してもらいたいと思います。



将棋ビジネスというと、器具売りやも入ってきて混沌としちゃうからね。



>プロ棋戦が必要な理由がよくわかりませんから。



君の様に棋力が低いと高度な棋譜の意味は判らないってことですね。



>一種のボランティアに聞こえてしまいます。



君は棋力も低いが、耳もしくは耳の間にある器官に問題がある様だね







現在連盟の活動はそのほとんどが営利目的です。20年以上前には体の不自由なかたやお年寄りの家に訪問して将棋の指導などしている棋士を確認していますが、現在はそういった社会に貢献していこうという活動はそのほとんどがアマチュア棋士によっておこなわれています。連盟の営利目的の活動を批判する気はありませんが、私個人としては好きになれる活動ではありませんね。質問者様の思われる非営利での普及は過去には行われていたが現在はあまり行われていないわけですから、営利目的の普及という表現が正解で、ただ普及と表現するのはたしかに紛らわしいですね。質問を質問で返すようですが、もしかしてそういったボランティア活動をされていた棋士の名前をご存知でしょうか?私は小さかったので名前を覚えていません。







貴殿の投稿内容が良く理解できませんが、これだけは言っておきたいと思います。

私も普及指導員の資格を持っており、近所の小学校に定期(月1回)で教室を開き小学生に将棋を教えていたり スポットでの普及活動(小中学校での体験教室等)を行っておりますが、その活動は全てボランティアであり、金銭は貰っていません。せいぜい、テキストやプリント、棋具(盤駒)の用意に掛かった実費を学校側(PTAを含む)から頂く程度です。(指導員への利益収入が無いので、これはビジネスには該当しないと理解しています)

日本将棋連盟のHP中に普及指導員の紹介ページがありますが、そこでも大半の指導員の方が基本無料(この言い回しは、私同様、実費は負担頂く、という意味と受け取っています)で指導されている事が判ると思います。また一部有料とされている指導員の方は皆 道場経営者と伺っております。これは道場で開催する教室であり、その方の生業の一部であるという事になるので、貴殿の言う「一般人向けの将棋ビジネス」とはニュアンスが異なると思います。

同じく将棋を生業とするプロ棋士(指導棋士を含む)が行う普及活動(指導)は、その方の元々の生業の一部であるという解釈から、それに値する報酬が支払われる事は当然であると思います。(上記の将棋道場経営者の有料普及活動もこれと同等と思っています)



従って、大半のアマチュア棋士の普及活動は、ボランティアであり、決して商売行為ではない事を御理解頂きたく思います。



<追記>

書き忘れた事があるので、追記させて頂きます。

現在は東京都限定の様ですが、現在将棋連盟では「学校教育プログラム」という活動がスタートしており、学校側から要請(書面)を提出する事で、無料にてプロ棋士を派遣して将棋のレクチャー、指導を行うという普及活動が行われています。(東京限定なのは、始まったばかりの活動であり、あくまでもテストケースである為で、今後全国的に活動を広げるものと思われます)



<再追記>

midnight571expさんが追記でおっしゃっている通り、我々普及指導員(アマチュア棋士)が普及活動が出来るのは、日本将棋連盟、及び プロ棋士のバックアップがあっての事です。(適切なテキストを用意してくれているのは、経験豊富なプロ棋士の方々であり、それを纏め上げてくれているのは日本将棋連盟ですし、普及活動に必要な知識を講習等で我々にレクチャーしてくれるのもプロ棋士の方々です)

普及活動に必要な棋具、テキストを格安で提供してくれるのも、連盟が後ろ盾してくれるスポンサーを探して普及資金を集めてくれる等 土台をしっかりと固めてくれているからです。

そういった意味では、プロ、及び 連盟が普及活動をしていないなどという事はありませんので、お間違えない様にお願い致します。







なんか、質問の意味が分かりづらいのですが、



まず、普及という言葉は、囲碁将棋に限らず、他のゲームもスポーツ等に関しても使われる言葉で、

広く一般的に浸透させる行為に対して使います。

なので、ボランティアとは別です。



(たとえば、TVゲームが普及するとか、全然ボランティアとは関係ないですよね。)



よって、ビジネスとして広めることも普及となります。



(こういうことで良いのかな?)

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