囲碁は一手一手を考えて打つものでしょうか。
それとも自分の感性を信じ間髪を入れずに打つものでしょうか。
私の囲碁に対するイメージは、先の先まで深く読み、大局的に考えて、一手一手を打つ感じです。
ですが以前、読んだ本には、
「自分の感性を信じ、長考せずに打つべき…」
といった内容が書かれていました。
初心者向けの本で、
「対局相手に失礼のないように」
という意味だったと思います。
実際の所は、いかがなのでしょうか。
「読み」と「感覚」ということについては、王メイエン先生の「囲碁ミステリツアー」という本で、実は両者は表裏一体のものだというような記述を読んで、もっともだと感じたことがあります。
「読む」というのは、感覚的にここいらに打つのが良さそうだという発想がなければ始まらない。
「感覚」は、これで正しいという読みの裏づけの積み重ねがなければ生まれてこない。
読みの裏づけのない感覚だと、ただの思いつき。どう打ったら良いかを読むということをせずに感覚で打つなんて無理です。
また、感覚に基づかない読みは、無駄が多すぎるか、ただ迷っているだけ。勘や経験則で、「これで良いと思う」と読みを打ち切って着手することも必要です。
どっちが正しいか、というひとつだけの答えは存在しないと思います。
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