囲碁棋士や囲碁界で面白い・興味深いお話を教えて下さい。
私は趣味で囲碁を打ちます。実力は3段程度です。(最近頭打ちで伸び悩んでおります。)
囲碁の勉強で色々な本を読んだり、新聞の棋譜欄を読んだり、NHK杯を見たりしています。
そこにはたまにコラムとして、囲碁棋士や囲碁界の逸話や面白話が書かれています。
趙治勲は囲碁が弱くなるのが嫌で麻酔なしで手術を受けた、等は有名な話ですよね。
また、どなたかは忘れましたが、タイトル戦の最中に起きた大きな地震に気付かなかった、というのも聞いた事があります。
囲碁棋士は集中力が並外れていたり、人間としても個性的な人達が多いと思います。
私は囲碁の勉強を始めて10年程ですが、私が知っている話はほんの一部で、もっと面白い凄い逸話が囲碁界には沢山ある筈です。そして、それらの逸話に大変興味があります。
囲碁棋士や囲碁界の面白いお話をご存じの方、是非教えて頂きたく思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
・趙治勲九段が若いときの言葉として、「私はゴルフをするために日本に来たのではない。名人になるために来たのだ。」
・橋本宇太郎九段が、「どうやって詰碁をつくるのですか。」と訊かれて、「碁盤に碁石を転がせば、2つ、3つの詰碁はわけなくできます。」と答えたということ。
・NHKの囲碁対局で、ある棋士が石を打ったとき、弾みで石が盤上から飛んで落ちてしまい、落ちた石を探していたら「時間切れ」になってしまったという話。
・坂田栄男九段が、少年の頃は体力がなく、対戦相手の「長考作戦」で負けってしまったこと。
・呉清源が「来日してから、どのくらい強くなられましたか」と尋ねられて、「半目くらいでしょうか。」と答えたこと。
・桑原秀策が、勝負の結果を問われて、「先番でした」と答えたということ。
・本因坊秀甫が、「いったい何を考えているんだ。天下の秀甫のノゾキだぞ!」と言ったとか。
・本因坊秀栄が、「囲碁は遅いも早いも力である。下手がいくら長く考えたとて、妙手の出るはずはない。」と看破したこと。
などが、思い出せますが、プロ棋士に関するエビソードについては、例えば次に掲げるような「棋書」を読まれたらいかがでしょう。
「囲碁界の真相」 石田章 河出書房新社 B6 2003年 1,500円
「碁狂ものがたり」 日本棋院選書 中山典之 日本棋院 1983年 1,100円
「実録囲碁講談」 中山典之 日本経済新聞社 1977年 1,200円
「囲碁史探偵が行く 昔と今 碁打ちの物語」 福井正明 日本棋院 2008年 1,260円
「囲碁雑学ものしり百科」 別冊囲碁クラブ 37 日本棋院/編 日本棋院 1981年 1,500円
など、数多く出版されています。
趙治勲の事故の話で思い出しました。
第一期名人戦(読売主催・昭和36~37年)は13人の棋士が1年半がかりで総当りリーグ戦を戦うという気の長い棋戦であった。その一局、呉清源は4勝2敗で優勝戦線に踏みとどまっていたが、対する藤沢朋斎は1勝6敗と誰が見ても陥落はほぼ確定的。呉はオートバイ事故の後遺症いまだ癒えず、椅子席を希望したが、藤沢は「私は大事な対局を椅子でやったことがない」と断固拒否、観戦記者の覆面子が一計を案じ、畳一枚をはめこんだ台を作らせた。両者これで納得し、藤沢は台の上で正座、呉は椅子での前代未聞の対局となった。珍しく新聞の観戦記に写真がのった。ちなみにこの碁は藤沢が勝ち、以後全勝の打ち分けで見事残留した。呉は手痛い一敗を喫し名人位はほぼ絶望的となった。
少し前の武宮正樹九段の言葉で、「三々なんて、石が盤から落ちそうで打てない」なんてのがありました。
最近なくなられた藤沢秀行先生の話です。
先生は競輪がお好きで、賭けた選手(競輪知らないのですいません)が
あたりそうになったなると、金網をつかみながら絶叫していたそうです。
ここまではよくある話ですが、あまりにも強くつかみすぎてこの金網がひん曲がってしまったそうです。
で、この金網は、秀行絶叫の金網なんていわれていたそうです。
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