2012年5月3日木曜日

将棋の方が囲碁よりも、女流棋士が、男性棋士と同じフィールドでプロになるための...

将棋の方が囲碁よりも、女流棋士が、男性棋士と同じフィールドでプロになるための垣根が高いのはなぜでしょうか?


囲碁は将棋のように男女分かれていないのは知っています。

だから、将棋のように男性と同じフィールドでプロになるのが難しいのなら、囲碁は女流専用の棋士会?がないわけですから、囲碁は女性棋士がプロになること自体がかなり狭き門になってしまうように思えますが。

その囲碁と将棋の差は何でしょうか?

自分なりに仮定を立ててみました。

~仮定~

①女流の将棋人口が囲碁より少ない。

②囲碁は入段に女流枠がある?(ヒカルの碁でみた限りだとなかったと思いますが。)

③囲碁の方が将棋より、脳科学的に見て女性に向いている?



私の足りない頭ではこのくらいしか可能性として考えられることが思い付きません。どなたか、理由を教えてください。







私も本当の理由は知りませんが、おそらく2つあるような気がします。



1つは、将棋の方が論理性が強く、数理的処理の苦手な女性向きではなさそうであることです。

囲碁も論理性はありますが、全体の構想や厚味のように数理的な読みでは測れない部分が大きいです。

コンピューターの将棋と囲碁を比べますと、将棋はアマチュア高段者並、というよりすでにプロ並でしょうか。

囲碁はアマチュア初段の実力すら怪しいです。

数理的処理では人間を遥かに凌ぐコンピューターも、囲碁の大局観や厚味の判断は苦手のようです。



もう1つは、ゲームの性格が将棋が男性的で囲碁が女性的であることです。

将棋は戦争のように兵を進めて、終盤に向かうにつれてどちらが先に王にトドメを刺すかという最高に緊迫した場面になり、詰みですべてが終わる急激なゲームだと思います。

私は女性の囲碁ファンの方々と将棋のお話をしたことがあるのですが、負け方がひどいので女性は嫌になってしまうらしいんですね。

囲碁は、序盤は何もない盤上から穏やかに進行し、次第に石が競り合って戦闘になり、緊迫のピークとなります。

しかし終盤に向かうとあんなに激しかった戦闘が止み、残りの部分を大きな手の順に打っていき、最後に一番小さい手を打って終わります。

緊迫感が緩やかに上昇し、ピークを過ぎるとスーッと引いていく感じですね。



私は米長邦雄氏の大昔の著書を読む機会があったのですが、印象に残っていることがあります。

囲碁の女流棋士同士で壮絶な戦闘になった対局の話なのですが、敗れた女流棋士は涙をボロボロこぼしたのだそうです。

米長氏によると、このように囲碁界には厳しい勝負師と女性らしさの両面を持った女流棋士が存在するが、将棋で女性の名人が登場するなら本当に男性型の人間であるだろうとのことです。

将棋で女性が男性並の実力になることは、望ましいことではないのかもしれません。








囲碁は入段で正式なプロですが将棋は四段からなのが最大の理由です。

つまり、特に女性に対して高い垣根を設けているのではなく、プロになること自体の垣根が高いのです。実際、将棋連盟プロを目指して奨励会で頑張ってる女性は何人もいます。ですが入段できた人はいません(付け出し初段はいましたが) 。







この質問も多いですね。

男性と女性がなぜわかれているのか?

身も蓋もなく言ってしまえば、単純に実力が及ばないからです。

女流棋士はトップクラスで、奨励会有段者といい勝負でしょう。

“勝つのは厳しいが、勝てないことはない”という状況ですよね。

そもそも将棋は、男性と女性で裾野の広さが違いますから、

奨励会を抜ける人がまだ出てこないことも無理はありません。



まず、誤解を解かせていただきますが、将棋界では、男性のプロを棋士、女性のプロを女流棋士と呼んでいるわけではありません。



プロ棋士というのは、将棋連盟の下の棋士養成機関である、「奨励会」を卒業した人々のことを言います。奨励会に入る際は、入会試験やプロ棋士の推薦などが必要となりますが、男女関係なく入会可能であり、好成績を上げ、四段になれば卒業できます。



たいして女流棋士というのは、「女性のみ」が入会できる「育成会」を卒業した女性のことを言います。育成会の入会条件、および卒業条件も、基本的には奨励会と同じです(ただし育成会では二級で女流棋士となります)。



では、何故そのような二種類の養成機関が存在するのか、ということについて。これは、現時点では、「男性棋士と女流棋士の実力の差が著しい」ということが理由です。近代まで「将棋=男性」というイメージが根強かったため、女性で将棋を指す人が少なく、普及が遅れていたため、このようなことになっています。実際に、奨励会に入会した女性も何名か存在しますが、今のところ、卒業した人物は一人もいません(現在の女性の奨励会員は二名だそうです)。そこで、将棋を女性にも普及するために創られた、女性のための将棋養成機関が「育成会」です。



現在では女流棋士の棋力も相当数向上しており、タイトルホルダーの女流棋士が新人棋士に勝利するという事態も、ちらほらと現れ始めました。奨励会を突破する女性が現れるのも時間の問題ではないでしょうか。



残念ながら将棋界の男女には歴然たる実力の差があります。

完全に実力制の男女オープンにすればほとんど女性棋士がいなくなるとの理由で女流棋士の制度を設けているのです。



他の方は脳の男女差を理由に挙げているようですが、

頭脳のスポーツとはいえ、体力的な差が理由であることも否めません。

羽生さんのようなトップ棋士になればタイトル戦を年に何十局もこなさなければなりません。

2日がかりのタイトル戦では一局終わっただけで体重が数キロ減るそうです。

この体力勝負とも言える過酷な対局を男女同条件で行うには難しいとも言えます。







将棋人口が少ない、女性に向かない等の見解があり、それぞれ同意できますが

私個人は以下の様に考えます。



奨励会に在籍する女性が四段以上の棋士に成れないのは、女流棋士の存在が

足枷になっているのではないかと。

誤解の無いように書いておきますが、決して女流棋士の存在じたいを非難している

わけではありません。将棋の普及面での昨今の活躍は、尊敬しています。



奨励会に入れる位の棋力がある女性なら、女流棋士には成れます。



それ故、(本人は意識しなくても)棋士に成れなかった場合は女流棋士という

滑り止めがあるという意識があり、どうしても修行が甘くなるのではないでしょうか。



将棋連盟が本当に女性の棋士の誕生を願うならば、「一度奨励会に在籍した者は

金輪際女流棋士には成れない」という規約を設ける必要があると思います。

また、その位の気構えで望まないと、女性は棋士には成れないと思います。







過去に同様の質問がありますので、ご参照下さい。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1431143824

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